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「深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」、いわゆるワンドロというやつをAAでも実施していると聞き及び、去る11日に参加してみました。
ここに載っけたのは、それをもう少しだけ加工したものです。具体的には色味を少し鮮やかにしました。あと被写体を赤目から青目にした。

「ウゴチャン 1ジカンデナンテ オエカキデキナイイイ!」なんてかまととぶっている場合ではないのですが、PCがフイイイイイイインとか言い出してブラウザがクラッシュするわ、Photoshopは1つ行動するたびに2分待たせやがるわで大騒ぎでした。いい思い出になりそうです。

またSSかよ!!!!!

洟

解説

  • アルゲマイネSSには白い夏服ちゅうやつがありまして、例の黒服ほど有名ではないのですが、モチーフとしておいしいので描きました。
  • 徽章調べたのに後ろ向きで描けなかった……少佐相当官の設定です。
  • アルゲマイネSSだから、事務のおじさんです。サーベル持ってても事務のおじさんです。
  • 右っ側にあるクソ読みにくい文字は、フラクトゥーアの筆記体です。
  • フラクトゥーアはハイパー読みにくいので、読みやすい別フォントが普及してきたし、ヒトラーが廃止させた。だって読みにくいよね……
    • もう少し細かく言うと、部下のマルティン・ボルマンが「フラクトゥーアってユダヤくさくね?」と言って公文書に使わないよう通達した。

参照とか

Seit 1940 sollten alle für das Ausland gedruckten Texte in Antiqua gesetzt werden, worüber die Bevölkerung jedoch nicht informiert wurde. Die Schriftpolitik blieb über längere Zeit völlig unklar. Ein Erlass des NSDAP-Regimes von 3. Januar 1941, in welchem Martin Bormann in Hitlers Auftrag die der Fraktur ähnliche Schwabacher als „Judenschrift” bezeichnete, erklärte dann in einer totalen Kehrtwendung (und in Verkehrung der tatsächlichen Entwicklung der Schrift) die Antiqua zur „Normalschrift“. Schwabacher und Fraktur galten fortan als unerwünscht, so dass NSDAP-treue Zeitungen und Verlage vor allem in der für das Ausland bestimmten Produktion zum durchgehenden Gebrauch der lateinischen Schrift, insbesondere der Antiqua, übergingen. Der Duden erschien 1941 letztmals in Fraktur.

雨後筍近況

カードゲームのアートワークやったり、漫画描いたりしています。
色々な名義で、色々な絵柄で描き散らかしては、色々な場所にひり出しているので、そろそろどっかにまとめようかなと思っていますが年内は無理だ。
場所が整ったらここにも掲示しますので、ご興味のある方は見てやって下さい。